「思い出話」

義母がリビングにやってきて、いつものようにフリートーク。

義母の思い出話が始まった。今回はパパが生まれた頃から小さい頃のお話…そして話の締めに

と言って立ち去った…。おそらく自分の世話をさせて申し訳ないということを言いたかったのだろう…が、言われたパパは

だって同居した時からパパが居ない時を狙って義父母から色々言われてきたから。今と昔は切り離して考えなくちゃいけないんだろうけど、チリツモで長年の解消されないモヤモヤを私はずっと引きずっている。だから今の関係性があるわけで…

しかしそれを今話すことでもないと思い

と答えた。

そして義母の思い出話を聞いているうちに、私の脳内では王子が産まれる前後の義父母の仕打ちを思い出していた。

私は里帰り出産も考えたが、あまり体が丈夫ではなかったので医者から勧められないと言われ、里帰りはしないことに。しかし、私の両親にとって王子は初孫ということもあり、実母が私のお世話をするために出産予定日の少し前に我が家に来た。

私の実家は離れているので簡単に会いに行かれないということもあり、初孫を見たい気持ちも分かるから…と軽い気持ちだったのだが、以降、両家がこんなに拗れるとは思わなかった。

今思えば義父母は、自分たちが家にいながら実母を呼び寄せたことが気に入らなかったのだろう。

でも、義両親に実母が来ることを話した時は何か言われた記憶がない。なので実母が来てからの義父母の対応は当時の私には義母の言動全てが意地悪に聞こえていた。

この家の中の勝手もわからない、この辺の土地勘もない、自分の車で来たわけでもない母に対して

と言われた。

まる家と実母みんなで、ベビーを迎えられる温かなイメージを想像していたが、出産を控える私にとって、自分の体以上に双方に神経を使う最悪な状態になった(笑)

夕飯を作っている最中に陣痛が来ても母が隣で背中をさすってくれたり配膳を手伝ってくれているが、他は本当に誰も何も手伝ってくれなかった…

その頃のパパは今と違って

パパ
パパ

家で過ごす大人が大勢いて、なぜ俺が手伝いをしなくちゃいけないんだ?

という考えだったし、昔の私は今みたいに義父母のことをパパに話していない。

私は義父母から私の両親のことをボロカス言われて気分が悪かったので、同じ思いをパパにさせたくなかったから、パパには義父母にされたことを話していなかった。だから当時のパパは家事も、王子が生まれてからの育児も非協力的だった。

そしていよいよ病院に行く時にはパパがいたので、パパに連れて行ってもらえたが、

出発直前、義母に

と見送られた。これも義母のブラックジョークなのだろうが、当時の私には返す余裕もなかった。

丸1日にも及ぶ出産で、看護師さんが

と褒めてくれた。堂々と敷居を跨いで帰ってやると思った。

出産に時間がかかったせいか、脳と体にむくみがあり、母子同室で過ごせるはずだったが退院前日まで別々で過ごすほど体力を消耗。義父母が見舞いに来た時、王子は新生児室にいたので

と、5分ほどで帰っていった。

そして退院当日…医者からは当面の間、安静に過ごすように言われていたが、帰宅すると義母の親戚が泊まりに来ていた。すると義母に

と言われ、裏で

と、良い嫁キャンペーンを強要された(笑)しかし、帰宅当日から動けるわけもなく…。産後からずっと頭痛で嘔吐もしていたので実母が代わりに家事をしてくれた。

とはいえ実母も人様の家の中の勝手がわからないのと、義父母の家でもあるので勝手に触るわけにもいかず、私も動ける範囲で良い嫁キャンペーンを続行した。

実母は、

と一週間で帰る予定を延長して1ヶ月健診が終わるまで私や王子の身の回りの世話を助けてくれた。

実母も相当ストレスが溜まっていてイライラしていたから早く自分の家に帰りたかったと思うがそれ以上に娘の身を案じ、それ以上に初孫の王子が可愛かったから残ってくれたんだと思う(笑)

おかげで私は母がいてくれている期間中、全く痩せなかったが、母が帰って2週間であまりの忙しさと義母からのネチネチ口撃によるストレスで妊娠前の体重よりも痩せる事ができた(笑)

他にもまだまだある…それがあって今がある(笑)

そういうことって一生忘れない(笑)

色々思い出したら恨み節が止まらなくなる。こういう時に、心にしまっておいたモヤモヤBOXの蓋がびっくり箱のように開いて溢れ出てくる…話し出したら止まらなくなるし冷静ではいられなくなるのでこの辺でまた無理やりモヤモヤBOXの蓋を閉めないと…

でも私は義母に対してブラックにつぶやくだけで意地悪はしてない…と思う。

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