介護が始まるまで

義父母を迎え入れ、完全同居を始めてから数十年。

元々同居し始めた頃から

女王
女王

転んだら最後、歩けなくなって一生寝たきりになって迷惑かけるから歩きません

が口癖の義母。旅行や買い物には行くけど、散歩や近所のゴミ捨ては危ないから行かないという人だった。

義父が亡くなってからは、コロナ流行も重なり、転んで寝たきりにならないようにとますます外出も控え、庭以外は外に出なくなった。

まる子
まる子

骨の維持のためには歩いて踏み固めることと日光浴でビタミンDが作れるみたいですよ、このへん一緒に歩きませんか?

と一緒に散歩にいくことを勧めても頑なに拒否されていた。

義母が圧迫骨折をしたのは実は今回で2度目。遡ること10ヶ月前…。1度目はそれまでの体力があったので回復が早く、さほど私も(困ったけど)困らない程度だった、2度目の圧迫骨折では1度目の骨折でリハビリを拒否され、室内に篭ったままとなって体力が戻らず、外出も病院以外はなく(薬だけなら私が代理で受け取る状態で)さらに減っていたので介護生活に。

同居してから義父母との関係が良くなかったので、どうしても介護に前向きになれずストレスが溜まるばかり。それでも、義母の方が辛いだろうと思って要求を受け入れていたら一時は心の風邪をひいてしまい、自分の命を粗末にするような思考に精神的にも肉体的にも追い詰められていた。

以前、王子が一歳になった頃にも心の風邪を引いてしまって、子供の1年はとても成長が早く写真に撮りためておきたかったのにこの頃の写真も記憶もない…実家の親の助けもあり、自分なりに乗り越えたつもりだったのに…

介護になるまでは、朝、昼の食事は義母自身で用意して片付けていたし洗濯も掃除も自分の分は自分でしていた。そして長年専業主婦だったので、家にいることも苦ではない様子。なので義母に対しては『言葉のストレス以外は無い』状態だったので、必要なとき以外はお互い自室に篭っている生活。夕飯は私が用意していて、たま〜に義母が食べたいものを一品用意してくれていた。

当時の私の仕事は午後からだったので、帰宅後から夕飯までが戦争で仕事終わりに買い物をして帰ってくると、長年決まって18:00夕飯だった義母は18:00を過ぎて帰ってくる私を仁王立ちで待っていて、ずっと後ろについて

女王
女王

家族がお腹を空かせて待っているのに!あなたは何をやっているの‼︎

と毎回怒られるのがとても苦痛だった。王子も塾や部活で19:00頃の夕飯もしょっちゅうだったし

まる子
まる子

腹減ってんのはアンタだけだろ

と、心で思いながらもずっと怒るので着替えもせずリュックを背負ったまま夕飯作りをする日々。

更に

女王
女王

私が家に居るんだから夕飯作ってあげてもいいけどあなたがいい顔しないでしょ!

と言われるのでイライラはピークに達し

まる子
まる子

別に作ってくれるのはありがたいのでお願いしたいくらいです。

それにこれまで作ってもらって一度も嫌な顔なんてしたことありませんけど

と反抗してみたりもしたけど後々クドクドと数日間言われるので、無駄な労力も使いたく無い。

まる子
まる子

今すぐ夕飯作るので、そこで立っていられると邪魔危ないから、何もしないんならお部屋で待っててもらえますか?

と言ってやり過ごすようになった。

その頃、飼っていたペットも亡くなり精神的ダメージが大きく仕事も辞めてしまった。休業中はペットがいた部屋の整理をしながら泣きくれて、私の部屋として改造しながら心の整理も出来てきて落ち着きを取り戻したところで新しく仕事を始める気持ちになり、今の仕事先が決まって…仕事が始まる数日前に義母がぎっくり腰をして…というのが全ての始まりだった…

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